ビュイックの歴史について

豆知識

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出典:http://www.automotive.com/buick/t3-13-2/

ゼネラル・モーターズにおいて、キャデラックに次ぐ立ち位置とされる高級車ブランド

それがビュイックである。

歴史

1903年 イギリス系アメリカ人であるデビット・ダンバー・ビュイックによって『ビュイック・モーター』社が誕生した。

当初彼はエンジンだけを生産していたのだが、エンジニアのウォルター・マールの協力を得て初めて自動車の生産に踏み切った。

翌年1904年 『MODEL B』と命名された初のBUICK車は、優秀なクルマであったにも関わらず、彼は販売までにその資金を全て使い果たしてしまったのである。

販売するにあたり、彼はシボレー創業者として知られるビリー・デュラントに援助を求めたが、販売面での不調により BUICK社は 財政の面でデュラントに支配されていくようになり、1908年 ビュイックはとうとうビュイック・モーター社を立ち去ることになってしまった。

皮肉なことにBUICK車の売上は急速に伸び、8800台が世に送りだされたのである。

またアメリカの4大自動車メーカーの一つになっていたBUICK社をデュラントは、事業拡大のため 1908年9月16日にゼネラル モーターズ(GM)に社名を変更した。

翌年までにはオ-ルヅモビル社、オ-クランド社(現PONTIAC)、キャディラッ ク社を買収し、今日のG.M.の基礎となった。

その後BUICKはG.M.の中の一つのディヴィジョンとして中の上の位置付けとして、今日に至っているのである。

エンブレムの歴史

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出典:Labaq.com

設立当初はBUICKという社名を筆記体で記したデザインとなっていたが、現在では3つの盾が並んだエンブレムのデザインを採用。

この盾は並列ではなく、左から右斜め上に向かって並ぶように配置されており、歴史を感じる紋章のようにありながら洗練された印象を受けるデザインとして存在している。

ラインナップ

主に中型から大型モデルをラインナップ。

アメリカの保守的なアッパーミドル層向けの上品なハイ-ミドルレンジ高級車としての位置を保ち、フォードのマーキュリーなどを主なライバルに、「ルセーバー」や「リビエラ」、「センチュリー」や「パークアベニュー」などの主要車種がアメリカ内外で高い人気を維持し続けていた。

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出典:米車道 (コメシャミチ)

ビュイック:ルセーバー

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出典:http://www.venomthemovie.com/

ビュイック:リビエラ

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出典:http://jp.forwallpaper.com/

ビュイック:センチュリーキャバレロワゴン

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出典:http://ja.wallpaperlist.com/red-buick-century-caballero-wagon-wallpaper-3589.html

ビュイック:パークアベニュー

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出典:シーサーブログ

オールズモビルを吸収した2004年以降、ビュイックはラインナップの整理を進め、センチュリーとリーガルをラクロスに、ルセーバーとパークアベ ニューをルサーンにそれぞれ統合した。

ビュイック:ラクロス

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出典:GM Corporation

ビュイック:ルサーン

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出典:車画像

また、ミニバンのテラーザ、およびSUVのランデヴー、レイニアは打ち切られ、3列シートのクロスオーバーSUVで あるアンクレイブに置き換えられた。

ビュイック:アンクレイブ

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出典:wikipedia

これにより北米ではポンティアックとディーラー網が共通とはいえ、ラインナップが大型のモデルに偏ることになった。

しかしポンティアックのブランド廃止によって、ビュイックに中小型車を投入する方針に転換され、まず2010年にはリーガルがオペル・インシグニアベースの中型セダンとして復活した(中国では2008年から投入済)。

また、小型セダンのベラーノが2012年モデルとして投入される予定である。

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